公職 - Public Positions (教職就任以前の業界団体、政府機関、学協会の委員、理事などの公職の主な役職)
1979~1985 データベースサービス業務連絡懇談会 理事 1982~1984 ㈳情報科学技術協会評議員 1984~1985 日本電信電話公社 情報研究会 部外委員 1984~1986 厚生省国際有害化学物質登録制度(IRPTC)国内協力委員会 委員 1985~1995 日本データベース協会 理事(1991年4月以降は終期まで副会長) 1986~1995 ブックページ刊行会 代表 1987~1988 ㈳日本電子工業振興協会 電子出版専門委員会 委員 1988 日本電子出版協会 ヨーロッパ電子出版業界視察団 団長 1988~1990 データベース振興センタ― CD-ROM 調査研究委員会 委員 1988~1989 データベース統合利用に関する調査研究会 座長 1989~ 1990 ㈶関西情報センター 都市情報開発センター基本構想策定委員会 委員 1990 米国 University Microfilms International 社 UMI/Data Courier Award 選考委員会 委員 1991~1995 日本電子出版協会 常任理事 1992~1995 情報知識学会 理事 1994~1995 ㈱三菱総合研究所 電子出版懇談会 委員 1994~1995 郵政省 電子情報とネットワーク利用に関する調査研究会 委員 1994~1995 図書館情報大学参与 1996~1997 ㈶出版文化産業振興団体 JPIC読書アドバイザー養成講座専任講師 1997~2001 ㈳情報科学技術協会 副会長 2000~2001 ㈳情報科学技術協会 複写権問題検討会 会長 2002~2008 (中間法人)学術著作権協会 理事 2003~2005 日本出版学会 出版著作権研究部会 部会長 2004~2008 日本複写権センター 理事 2004 ㈳情報科学技術協会 評議員 2004~2008 日本出版学会 理事 賞歴 - Awards 1996年5月26日 情報業務功労賞:社団法人情報科学技術協会 1997年3月12日 業務功労賞:日本データベース協会 |
年譜 - Timeline
1937 (昭12) 年 9月5日、三浦恒夫、千代子の二男として、東京都下本所(現墨田区)にて出生。父は徳島県阿波郡土成の裕福な郷士の長男、母は日本橋の老舗米問屋「鳩米屋」の四女であった。
1944年 中国湖北省漢口国民小学校入学。昭和15年に父の兵役が中国で明け、現地でビジネスを行うことになり中国に移住。
1945年2月 米軍による漢口大空襲により住んでいた家も学校も焼失。以来、校舎も教科書もなく、一年半にわたり学校教育を受けられなかった。
1946年7月 日本の敗戦を受け、中国大陸から引揚げ船で日本に戻る。9月:東京都杉並区第四小学校に編入(小学3年生の二学期)。この年の通信簿はオール丙(C相当)。
1947年9月 東京都港区青山小学校に編入(小学4年生)。
1950年3月 同校卒業。4月、私立錦城中学校入学。
1953年3月 同校卒業。4月、私立錦城高等学校入学。
1956年4月 同校卒業。
1957年4月 東京都立大学法経学部経済学科入学。
1961年3月 同校卒業、四月、株式会社紀伊國屋書店入社。この会社では、洋書の営業を十年、退職までの二十五年間はデータベースビジネスに従事。洋
書営業時代は、国立国会図書館、科学技術庁の外部機関でコンピュータによる内外の科学技術情報製作とその流通の中心であった特殊法人日本科学技術情報センター、図書館情報学科のある慶応義塾大学等を担当。これらの得意先には、ドクメンテーション(情報管理)と学術情報流通の専門家がおり、その影響でコンピュータによるデータベースの情報検索ビジネスを企業内起業で行うことになり、DIALOG やOCLC等のオンラインシステムの日本への導入とその普及に携わった。
1963年10月 会社派遣にて日本大学科学技術研修所ユニバーシティコース入所(文系の社会人に理工学を教える夜間大学の特別講座)。
1964年9月 同研修所卒業。
1971年 10月1日 同社洋書部販売促進課長就任。
1985年 10月1日 同社システム開発部長兼国際情報部長就任。
1986年 10月27日 同社取締役就任(情報・システム部門担当)。
1989(平元)年 4月1日 同社取締役情報事業本部長就任。
1991年 4月1日 同社常務取締役就任(情報・通信部門担当)。
1995年 10月30日 同社常務取締役退任。
1996年 1月1日 三浦事務所設立。情報ビジネスのコンサルタント業務を行う。
1997年 5月~1999年4月 トランス・コスモス株式会社顧問。
1997年 6月~2000年3月 株式会社ノヴァ(機械翻訳ソフト開発会社)監査役。
1998年 4月1日 実践女子短期大学日本語コミュニケーション学科の教授就任。
2001~2003年 生涯学習センターアドバイザー
2002~2006年 同学同学科主任
2002~2006年 実践女子学園評議員
2002年 大学・短大将来構想委員会広報戦略チーム所属
2004~2006年 学園ホームページ委員会副委員長
2004年 高大連携準備会委員(学長の諮問委員会)、短期大学改革プロジェクト委員会サブチーフ
2005年 大学・短期大学改革実行委員会 短大改組検討部会部会長
2006~2007年 プロジェクトJ J委員
2007~2008年 短期大学紀要委員会委員長
2008年 3月同学退職。
1937 (昭12) 年 9月5日、三浦恒夫、千代子の二男として、東京都下本所(現墨田区)にて出生。父は徳島県阿波郡土成の裕福な郷士の長男、母は日本橋の老舗米問屋「鳩米屋」の四女であった。
1944年 中国湖北省漢口国民小学校入学。昭和15年に父の兵役が中国で明け、現地でビジネスを行うことになり中国に移住。
1945年2月 米軍による漢口大空襲により住んでいた家も学校も焼失。以来、校舎も教科書もなく、一年半にわたり学校教育を受けられなかった。
1946年7月 日本の敗戦を受け、中国大陸から引揚げ船で日本に戻る。9月:東京都杉並区第四小学校に編入(小学3年生の二学期)。この年の通信簿はオール丙(C相当)。
1947年9月 東京都港区青山小学校に編入(小学4年生)。
1950年3月 同校卒業。4月、私立錦城中学校入学。
1953年3月 同校卒業。4月、私立錦城高等学校入学。
1956年4月 同校卒業。
1957年4月 東京都立大学法経学部経済学科入学。
1961年3月 同校卒業、四月、株式会社紀伊國屋書店入社。この会社では、洋書の営業を十年、退職までの二十五年間はデータベースビジネスに従事。洋
書営業時代は、国立国会図書館、科学技術庁の外部機関でコンピュータによる内外の科学技術情報製作とその流通の中心であった特殊法人日本科学技術情報センター、図書館情報学科のある慶応義塾大学等を担当。これらの得意先には、ドクメンテーション(情報管理)と学術情報流通の専門家がおり、その影響でコンピュータによるデータベースの情報検索ビジネスを企業内起業で行うことになり、DIALOG やOCLC等のオンラインシステムの日本への導入とその普及に携わった。
1963年10月 会社派遣にて日本大学科学技術研修所ユニバーシティコース入所(文系の社会人に理工学を教える夜間大学の特別講座)。
1964年9月 同研修所卒業。
1971年 10月1日 同社洋書部販売促進課長就任。
1985年 10月1日 同社システム開発部長兼国際情報部長就任。
1986年 10月27日 同社取締役就任(情報・システム部門担当)。
1989(平元)年 4月1日 同社取締役情報事業本部長就任。
1991年 4月1日 同社常務取締役就任(情報・通信部門担当)。
1995年 10月30日 同社常務取締役退任。
1996年 1月1日 三浦事務所設立。情報ビジネスのコンサルタント業務を行う。
1997年 5月~1999年4月 トランス・コスモス株式会社顧問。
1997年 6月~2000年3月 株式会社ノヴァ(機械翻訳ソフト開発会社)監査役。
1998年 4月1日 実践女子短期大学日本語コミュニケーション学科の教授就任。
2001~2003年 生涯学習センターアドバイザー
2002~2006年 同学同学科主任
2002~2006年 実践女子学園評議員
2002年 大学・短大将来構想委員会広報戦略チーム所属
2004~2006年 学園ホームページ委員会副委員長
2004年 高大連携準備会委員(学長の諮問委員会)、短期大学改革プロジェクト委員会サブチーフ
2005年 大学・短期大学改革実行委員会 短大改組検討部会部会長
2006~2007年 プロジェクトJ J委員
2007~2008年 短期大学紀要委員会委員長
2008年 3月同学退職。
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