通信回線のこと
日本の社会で海外のオンライン情報検索サービスが利用できるようになったのは、国際電信電話 (現KDD) が1980年に国際コンピューターアクセスサービス(ICAS)という公衆通信回線サービスを開始したことによって始まる。私がロッキード社と契約をまとめたのは1978年だったので、まだ日本からはオンラインサービスを使用できる状況にはなかった。しかし、一刻も早く利用者にサービスを提供するために、何とかならないかと調べてみたところ、テレックス(タイプライターのようなキーボードが付いている通信機器)を使えば利用できることが分かった。ASKというバッジ方式による情報検索時代にも、大手企業、工業技術院などの国の試験機関からの検索依頼は多く、またアメリカの情報ブローカーに依頼して、米国内でDIALOGを使用しての代行情報検索を含めると、2万件近い研究開発テーマを検索処理していた。 一検索当たりの検索料金は最低で6万円程度とかなり高額であったが、国内の需要は多かった。企業の研究開発部門には研究情報を調査収集するグループがおり、そこの担当者は紀伊國屋書店に出向いてテレックスを使ってDIALOGの検索を行なっていた。当時テレックス回線の使用料金は国際電話料金と同額で、1分あたり1080円と高額であった。通常、企業ではテレックスは総務部門に設置されており、使用料が高額ということもあり、誰でも自由に使えるものではなく、情報担当者は紀伊國屋書店に出向いて業務を行ったわけだ。テレックスを用いた検索では一件あたりの料金はかなり高額であったが、情報担当者の来社は絶えなかった。紀伊國屋書店のKDDへのテレックス使用料の支払いは、大手商社並みで毎月数百万に達した。 こういう状況下にあってKDDには何度か赴き、米国のシステムと接続できる専用回線の敷設の交渉を行ったが、日本では民間での「行って帰ってこい」の専用回線敷設は認められていない、かりにKDDが認めても電電公社 (現NTT) が認めないので回線の設置はできないといわれた。当時、タイムネットと呼ばれる国際通信ネットワークでヨーロッパ諸国では自由に米国のデータベースサービスが利用でき、先進国の日本で利用できないというのは何とも納得できなかった。そこで当時の監督官庁で所管課の郵政省データ通信課を訪ね、他の先進諸国では自由に研究情報をリアルタイムで検索できるのに、日本でそれができないのは日本の大きな損失になる、というような熱弁を振るうことになった。 面会に応じた係長氏は熱心に話を聞いてくれたうえで、民間での専用回線設置はできないと誰が言っている、申請書を出してくださいといわれた。その後、直ちにKDDに赴き申請書を要求し、1978年中に紀伊國屋書店と米国を結ぶ専用回線が敷設された。テレックス回線の伝送速度は50bps (1分間に50文字) に過ぎなかったが、専用回線では一気に1200bpsとなった。何より、利用者はそれぞれの職場で容易に、迅速にリアルタイムで検索できるようになった。因みに、データ通信業界では考えられなかった「行って帰ってこい」の、紀伊國屋による海外と結ぶ専用回線の敷設は、業界の七不思議といわれていたそうだが、通信専門企業でない、一介の書店が学術情報を提供するという限定的な使用であったので、当局も認可したのかもしれぬ。 |