著作権のこと
私のビジネス時代以降の書き物や講演などは、著作権に関わるものが多い。私が著作権問題に関わるようになったのも、データベースビジネスに携わったことによる。データベースというのは、いわば著作権の塊のようなものである。オンラインでデータベースを検索した場合、データベース使用料の約半分は著作権料となっている。データベースの製作者の事は、業界用語でプロデューサーと呼ばれていたが、データベース製作には大きなコストがかかる。学術・専門情報のデータベースには、雑誌論文・記事の全文を収録したものもあるが、ほとんどのものは、その全文の抄録で作られている。なぜ、コストがかかるかというと、まず学術データベースに採録する価値ある文献を精査選別しなければならない。ついで、その抄録作成は、それぞれの分野の知識がある専門家が、論文を精読して200文字ほどに要旨をまとめる必要がある。なおかつ、コンピュータでその文献が正確に検索できるように、キーワードを付さなければならない。 私が訪れた、米国化学会のデータベース製作部門には、化学・医学・生物分野などの専門家がおよそ三百人(うち半数がドクター)がおり、その作業にあたっていた。学術論文の収録といっても、米国はもとより、世界中の化学および化学関連の1万におよぶ学術専門誌を精査しなければならない。この学会は、日本でも学者・研究者から抄録作成者(アブストラクター)を特任し、日本の学術論文の抄録作成を依頼していた。日本では、この学会のアブストラクターは、学者として一流の証明の意味を持つ権威あるものとなっていた。データベースの著作権料は、こうした作業にかかるコストを賄う必要経費なのである。 さて、学者・研究者はデータベースから得られた文献情報のオリジナルが必要になる。所属の図書館なりで複写できない文献も多く、その場合は「文献交付サービス」(データベース業界では、Document Delivery Serviceといっていた)を行っている大手の図書館に複写依頼を行うことになっている。しかし、急ぎ文献を必要としている研究者にとって、このサービスでは入手に時間がかかりすぎた。そこで、Document Deliveryを専門とするサービス機関・業者が出現することになった。米国では、知的所有権など著作権に関わる産業をCopyright Industryと呼び、1980年代終わりには総売上で1730億ドルの一大産業であった。Document Deliveryもその産業の一角を占めていた。因みに、米国には Copyright Clearance Center(CCC)という、米国で出版される雑誌文献の著作権の集中管理団体があって、1998年の著作権料徴収額は、68.4億円となっている。 紀伊國屋が独占的な代理店になった、英国図書館(BL)のドキュメントデリバリーサービス部門(BLDSC)は、世界各国が自国で調達できなかった文献複写入手の、最後の砦の機能を果たしている機関であった。BLDSCは、複写依頼用のクーポンを発行して利用者に販売していて、注文した文献の複写は、ほぼ1週間で手元に届けられた。当時、日本だけでも毎年2000万円ほどの需要があり、BLDSCは、英国図書館の重要な収入源になっていた。 いずれにせよ、オンラインによる情報検索サービスの発展により、Document Deliveryビジネスが生まれ、一つの産業となった。私は、後にCCCの代理機関になった学術著作権協会、そして日本の出版物の著作権問題と著作権料の徴収価格を審議する日本複写権センターの理事に就任することになった。これは、データベースビジネスで成り行き上関わり、さまざまな現場経験と知識を買われて要請されたものであったろう。なお、1980年代のDocument Deliveryの内外のビジネス状況、その実務やサービス価格などの実態は、「ドキュメントデリバリー・サービスと著作権処理」(実践女子短大評論第22号、p.13-26、2001年)で詳しく述べられている。 |