紀伊國屋書店のこと 1970年代の紀伊國屋書店は、ライバルの丸善に追いつき追い越せを目標にしていたといえる。ライバル会社に勝つためにはロケット砲が必要という思いもあって、当時常務取締役で実質的な経営者であった松原治氏が、電子計算機を導入して情報検索サービス事業に踏み切った。当時、他の役員は全員事業化に反対であったが、松原氏の英断で事業化できた。数年間大赤字が続いたが、私が会社から身を引いた1995年にはこの情報サービス部門は、社員200名強、売上65億円にまで成長した。当時出版業界では、出版物の取次販売をほほ二分していたトーハンと日販のみが電算機を導入していたにすぎない。一書店が電算機を持ちそれを使った事業を始めたのは異例なできごとであった。 ASKサービス(紀伊國屋書店の情報検索サービス)の電算処理は、中井浩氏 の紹介により東レよりスカウトされた坂本徹郎氏によって運営された。当時、画期的な事業をということで東京大学理学部の若手教授だった国井利康氏(後に会津大学学長)が推薦した教え子二人に、新規募集した電算技術者も加わってその基礎がつくられた。この事業のために創設された電算室は情報検索だけでなく、書店では稀有な社内の電算化の推進の中核になった。後には情報システム部へと発展し、ASKサービスを推進した根本勝弥氏が部長になって書店の単品管理システムを完成させた。このシステムは全国展開している紀伊國屋の各店舗での書籍販売データがリアルタイムで見られるもので、PubLineというサービス名で大手の出版社・新聞社・広告会社に提供されている。紀伊國屋書店の各地の店頭での販売データという限定はあるが、利用者は販売されている本の売れ行きが5~10分のタイムラグで得られるという、全国展開している紀伊國屋書店のみに可能な画期的なシステムだったといえる。 |