忘れえぬ人 そもそも電子計算機 (コンピュータ) を使って大量の学術専門情報データベースを検索し、学者・研究者に提供することの重要性について教えてくれたのは 中井 浩氏 であった。氏の業績についてはWikipediaに詳しいが、氏は国の、当時科学技術情報の提供を担っていた科学技術情報センター (JICSTと称され、科学技術振興機構の前身) での情報検索サービスを企画推進した功労者である。私は昭和40年代に営業担当者としてJICSTに出入りし資料課長だった氏とは頻繁に会う機会があった。 氏からはデータベースとその情報の電算機による検索サービスの重要性を説かれた。世界の天才の着想の多くは若年時に得られるが、その研究活動のなかで情報入手を容易にできる環境が非常に重要である。しかし、日本は欧米先進国に比べその環境整備が脆弱で科学技術の進歩に重大な支障がでていることなど、説き聞かされた。私はこうした話に触発されて、それができるサービスを民間で事業化することに思い至った。正に、中井浩氏こそ紀伊國屋書店の情報検索サービス (ASK) の産みの親であったといってよい。電算機が普及していなかったこの時代に、中小企業の域を出ていない一書店がこうした事業を立ち上げることができたのは、奇跡といってよかった。 また、昭和46年には海外の学術機関などと日本へのデータベース提供の契約がまとまったが、当時こうした事業の推進にあたりアドバイスをし、後押しをしてくれたのが宮川隆康氏 (後に共栄大学学長) であった。実は、氏は私の高校時代の恩師でもあったが、後にデータベース業界団体ができたときには、当時三菱総合研究所の役員だった氏は業界の副会長として、データベース業界の発展に尽くされた。国際ビジネスコンサルタントの鈴木文雄氏の起用を薦めてくれたのも氏であった。 |