メディアのこと
これまでの記述では、まったくメディアのことに触れていないので、ここで述べておきたい。実は、個人的なことだが、2018年夏に戸建を引き払い、マンションに越すに当たって、学会誌への掲載論文や業界紙誌に寄稿した記事などのほとんどを処分してしまった。学会誌の掲載文献は、当時の文部省所管のデータベースに採録され、ネットで原文が見られるものの、メディアの記事などは幾つも残っていない。 日本では、1980年代に入りオンラインデータベースサービスが始まったが、この年代はサービス自体が新しく、言わば旬であった。折から、高度情報化社会が始まったといわれるようになり、データべ―スサービスは、さまざまなメディアで取り上げられるようになった。NHKの取材も受け、夜7時のニュースで報道された。また、TBSの報道特集でも取り上げられた。TBSは、アメリカで取材を行い、DIALOG社や世界最大級の学会、米国化学会のChemical Abstractsデータベースの製作現場を紹介した。私も取材を受け、登場した。 当時取材を受けたり、寄稿を求められたりした紙誌を、参考までに記してみる。 <新聞> 日本経済新聞、日経産業新聞、日経流通新聞、日刊工業新聞、日本工業新聞、情報産業新聞、文化通信、流通サービス新聞 <雑誌> 週刊東洋経済、週刊ダイアモンド、日経コミュニケーション、データ通信、電気通信、BUSINESSコンピュータニュース、週刊電波コンピュータ、大学出版、印刷雑誌、KEY MAN など 現在は廃刊となったり、紙誌名も変わっているものがあろうが、取材を受けたメディアは、多様であったと思う。ビジネスマン時代に執筆した記事文献で印象的なのは、データ通信が1986年号で特集した「高度情報化社会の展望」に寄稿した一文であった。この特集の執筆陣は、当時斯界では名のある大学教授・民間の論客・郵政省の通信政策課長などであった。私のタイトルは「高度情報化社会とデータベースの整備 -その現状と問題点に対する私見-」というものであった。いま読み返してみると、当時の内外のデータベース産業の現状と問題点を詳細に報告していた。日本語という制約はあるものの、世界の主要な学会が製作するデータベースに採録されている日本人の論文は、極めて少ないことも指摘している。1985年代半ばの世界のデータベースサービスの実態を、数字で示している。 当時は、日経をはじめとする業界紙誌の記者が、定期的に取材に訪れるようになっていた。新しいビジネスの勃興時に、起こった現象であったのであろう。取材に訪れた「データ通信」誌の記者からは、私の日常を書くよう要請され、同誌の「身辺雑話」にそれが掲載された。掲載されたのは、1982年の1月号なので、恐らく前年の10月頃の1か月のビジネス行動を記したものと思われる。「KEY MAN」という雑誌は、データベース関連誌ではないが、私の事業担当部門で始めたネット通販サービスが紹介されているので、紙面を掲載することにした。その事業内容は紙面に詳細があるが、「I feel」という通販雑誌を発行して、本のネット通販を展開しようとしたものだった。その物流は、日本通運と契約し、Quick Serviceという代引き宅配システムで行った。これも、流通系のマスコミの関心を引くものであった。「KEY MAN」は週刊人事情報誌で、「ビジネスマンが読む“KNOW WHO戦略”マガジン」との副題がついていた。取材を受けた経緯については思い出せない。 メディアの手元に残った幾枚かの記事をここに載せることにした。いずれもコピーなので、文字が読み取れないものがあるが、ご容赦ねがいたい。 |