オンラインサービスのこと
米国にはDIALOGとSDCという二つの代表的なオンライン情報サービス会社があった。私は、どちらと提携するかの判断をするために事前に米国の企業や大学を訪れ調査を行った。結果は、どの機関もDIALOGをメインに使用しており、その最大の理由は使い易いというものであった。その結果ロッキード社と契約し、DIALOGの日本でのサービスは開始された。しかし、マニュアル等は英文なので、まず翻訳し日本の利用者向けの日本語版のマニュアルを作らなければならなかった。1970年末でデータベースの種類は科学のほぼ全領域にわたり、米国教育省の機関が製作しているERIC (Educational Resource Information Center)という教育分野のものも含まれており、マニュアル製作は大事業であった。検索基本マニュアルおよび個々のデータベースの検索マニュアルの翻訳は、語学力だけでなく情報検索の知識とその分野の学識が必要なので、人材の手配が大変であった。 最も基本となる「検索基本マニュアル」は、当時慶応義塾大学の図書館学科の教授であった藤川正信氏(後に図書館情報大学学長)と元JICSTの職員だった牛島悦子氏(後に白百合女子大学教授)の手で完成した。基本マニュアルの翻訳にあたっては、日本で使われるのは初めてのテクニカルタームの日本語での用語の統一などに腐心した。90種類余の各分野のデータベース(現在では500以上)については、国の科学技術情報のメッカだったので多くの専門家がいたJICST、国会図書館、慶應大学などの大学の教職員の手で翻訳され、数年がかりで日本語版が完成された。一方、テキスト作りにも労力を要し、私も入門者向けのテキストの作成をおこなった。 米国のデータベース製作機関、カスタマーサービスやトレーニングの担当者にはドクターの資格を持つ者も多く、データベースを使いこなすためには専門知識が必要だった。紀伊國屋書店の情報サービス部門(電子情報部)も理系のドクター・マスターの資格を持ったスタッフが幾人もいたが、実はこれらの多くは大学の研究室を巡って獲得した人材であった。東京大学・京都大学卒のスタッフもいたが、私が幾つかの大学を訪問して教授と面談して得られた人材も多かった。まず、教授からはなぜ本屋で理系の高学歴者が必要かと不審がられた。そして、教授が納得した時点で本人と引き合わされ、改めて学生を説得するという具合であった。わが研究室の卒業予定者の就職先は、数年先まで決まっているといわれたこともあった。 その後、DIALOG以外の欧米のデータベース機関とも契約を結び、サービスを提供することになったが、どのサービスも日本語版のマニュアル作成作業が必要だった。例えば、米国のNIH/EPA(National Institute of Health & Environment Pollution Agency)が提供する Chemical Information System(CIS)という環境毒性数値情報サービスでは、豊橋科学技術大学教授の佐々木慎一氏(後に同学学長)の研究室の研究者などの学者や他の専門家の協力をえて翻訳され、同氏の監修を経てマニュアルが作られた。また、図書館書誌データベースサービスのOCLC(Ohio Computer Library Center)のケースでは、書誌に詳しい今まど子氏(中央大学教授)に大部のマニュアルの翻訳に当たっていただいた。 このように日本における欧米のオンライン情報検索サービスは、多くの学者・研究者・専門家の協力を得てサービスが実現した。現在も提供され続けているこれらサービスのさまざまな基礎とユーザーサポートの方法は、当時の紀伊國屋の優秀なスタッフにより確立されたといっても過言ではない。紀伊國屋でオンライン情報サービスにあたったドクター達の多くは後に出身大学の教授などに転出しているが、それはこのサービスの専門性の高さの一つの証左ともいえる。なお、紀伊國屋でのオンラインサービスの詳細については「学術情報流通と書店の役割-紀伊國屋書店の事例-」および「The Role of Japan's Bookstores in Circulating Academic Information-Case Example of Kinokuniya Co.Ltd.-」で詳しく報告されている。 |